コミュニケーションという言葉をシーズンが始まってから何度も聞いている。
国籍が違う中で、これを如何に機能させていくかに最近は焦点を当てているが、上手くいかないので自分の中で葛藤と戦い続ける日々が続いている。
夜寝転んでいる中で、昔の自分の過去を思い出しながら考える事が多い。
ふと留学した時の事を思い出すと、英語の授業の事を思い出した。
全く英語が通じない、話せない状況でどのように毎日の日々を過ごしていたのか。
片手に辞書、ネットでは英辞郎を駆使して調べに調べまくったのを今でも覚えている。
本当に、毎日必死にアメリカの学生生活を過ごしていた。
朝は早いときには7:30から授業があり、目を擦りながら次の授業、昼からの授業に出て、夜は実習、そして夜ご飯を食べた後には復習と予習で図書館に毎晩0時頃まではいた記憶がある。
それが週3であったのかな?かなりタフな毎日を過ごしていたと思う。
けどそれって、留学生ならきっと当たり前の事なんだろうなと思う。
周りにいた同じ日本人の学生はもっともっと頑張っていたし、今でも尊敬できる野郎共でもある。
僕らに共通することは、勉強するために留学したということだと思う。
「他言語でも努力して習得する姿勢を継続すれば、たとえ難しい事があろうと、壁を乗り越える事はできる。」
壁に立てるということは、きっと素晴らしいことだと思うし、そんな難しいホームワークが現状に突きつけられているって幸せだと思う。
その壁を超えるために、ロープを使って一気に超えるか、少しずつ鎖で削っていくのか、それは個人の差だと思う。
自分自身にいえることは、僕は決して器用な人間ではないし、決して要領良い勉強方法はしていなかったので後者派だと分析している。
だから、自分自身どのような状況に立っていても、自分には過去に過ごした経験がある事をベースに言葉を発するようにしている。
その方が相手にも伝わりやすいし、もっと自分の事を見てくれるからだと思う。
こんな良いチャンスがあるのに、それをモノにできないのって、その人はとても一度きりの人生を損しているのじゃないのかってたまに同情してしまう時がある。
普段、なかなか話せない外国人と毎日話せる機会もあるし、ご飯に誘う機会だってある。
何から話そうかなとか考える前に、先ずは率先して自分でもこのくらいできるって事を見せてあげる行動をとる事が一番この世界で活きていくために必要なんじゃないのかって思う。